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Posted by おてもやん at

2009年12月11日

保育園での葛藤

入園時の面談にて。
担任の先生に
「お母さんから何かありますか?」
と聞かれたので、
「シュタイナー的な子育てをしたいと思っているから
・電子音のするおもちゃなどで気を惹かないようにしてほしい
・キャラクターの名前などを殊更に教えないでほしい」
など、ということをお願いしました。

もちろん、忙しくて手が回らない部分があるのは理解の上で、できる範囲で。


「お考えはわかりました。でも、どうしてですか?」
と聞かれて、あー、そこから説明せなんのかー、とそのことに愕然。
幼児教育のプロなら、シュタイナーのシュの字くらい(?)かじってるんじゃないかと淡い期待を持っていたので・・・
と同時に、真剣に聞いてくれて、できるだけ対応しますとおっしゃってくださったので
いい園だなあ、いい先生だなあと安心しました。


その後も、
「各自の物入れの棚に顔写真を貼って目印にしてもいいですか?」
ということを、聞いてきて下さったり。
理由は「個人情報の関係で」ということだったそうなのですが、
私は映像をなるべく目に触れさせたくないのでできればやめていただきたい、とお話ししたところびっくりされました。
でもいいっておっしゃる方の方が多いなら構いませんよ、と付け加えていたところ、
結局、他の保護者は全員「ぜひ!」ということだったので、棚にはそれぞれの笑顔の写真が貼り付けられました。
話をじっくり聞いてもらった上で決まったことだし、そりゃ笑顔の赤ちゃんの写真は可愛いに決まっているしで、
「まあ、別に、いいんじゃない?許せる範囲よ~。」と思っています。


で、昨日。
とうとうやってきました。
アンマンパンを教育の中に取り入れたいというお話。

最初に断っておきますが、アンパンマンが好きな方はそれでいいと思っています。
ただ、私は趣味じゃない。
一度、「食わず嫌いはいけない」と思って小児科のビデオを消さずに一話じっくり見てみたけど、
やっぱり好きになれなかったアンパンマン。
むしろバイキンマンの方が人間臭くて好感が持てました。
だいたい、「バイキン」マンを敵としているあたり、清潔信仰の現れなんじゃないの~、
なんて深読みしてしまう、常在菌の味方&理屈っぽい私。

その上、絵本の絵すらも想像力を制限してしまうから読みきかせは素話で、
というシュタイナーの思想に触れて、納得~!してしまったのです。
結局、絵本については「素話とは違うよさがある」という松井るり子さんの言葉にほっとし、
自分が美しいと思う絵本を厳選して与えることにしています。


先生の話に戻ると、みんなアンパンマン大好きだから使って手遊びとかしたいのに、
私と話し合ってからと思ってずっと機会を待っていたんですって。
私が残業続きで先生に会える時間に帰れないから・・・
ありがたいことですキラキラ

私の話を聞いた上で先生がいいと思うなら構いませんよ、とお伝えしました。
が、いいって言ってるんだけど、
「どうしてだったのかもう一回聞かせてください」
とおっしゃるもんだからまた議論が始まってしまい・・・
聞いて下さるだけ本当にありがたいけど、論理の隙を見つけては崩そうとされているように感じ、何だか疲れました。
平行線だってわかってることを、お互い攻撃し合わなくていいよお~、というような気持ち。
挙句の果てに、「娘にこうなってほしい理想がありすぎるんじゃないか」というようなニュアンスでお話ししてこられて・・・
正直、おなかの底から驚きました。
多分、直前にアニメ「こんにちはアン」のDVDの貸し借りをしていて、
「こういうのが理想なんでしょ~」「あはは~ですです~」
という会話をしていたからだと思うけど・・・冗談だってば!!笑

長くなったので続きはまた今度。  
タグ :保育園


Posted by みみもと at 13:31Comments(0)日記

2009年12月10日

「ごめんね~」

おとといから「ごめんね~」を習得し、娘の中でブームです。
ほめられるから楽しいらしく、関係ない時も「ごめんね~」連発。


「かして!」も言えるようになったので、

「かして!」
「ドーゾ。」
「ありがとう!『かして』は?」
「カシテ!」
「どーぞ。」
「アガト!」

とか、

バシッ(叩くなど)
「いたーいわー
「イターイにっこり
「ごめんねは?」
「ゴメンネ~」

などと、延々と繰り返し状況を作って練習中です。
中学校1年の英語の授業みたい。
どの言語もこんな風に覚えていくもんなんですね~。


「ごめんね」と「ありがとう」、
さらに最近「おはよ」「こんちは」「こんばんあ」も言えるようになったので、
ああこれで人間として十分だなあ、もう親として教えることないんじゃないかしら、
なんて(んなわけないけど)思う今日この頃ですぬふりん  
タグ :言葉


Posted by みみもと at 12:38Comments(0)日記

2009年12月08日

可愛くなってきた

いつからって、一歳過ぎたころからです。
いつも可愛いっちゃ可愛いんだけど、一体どうしてこう思うのか?
自己分析してみました。


新生児の時は、生物の本能として?可愛かったような気がします。
何カ月経っても「ほんとに私が産んだんかぁ?」と不思議でたまらなくて、
母親って実感がわかず、まじまじと顔を眺めたこと多数。

1歳過ぎると、「おっぱい」と言ったり、首に抱きついてきたり、駆け寄って来たり、
娘の方から私を求めて来る行動が出てきて、
人間の感情として可愛いと感じるようになったような気がします。
やっぱり、コミュニケーションこそ人間性の核を刺激するものなんでしょう。
「男性は生まれてすぐ父親の自覚が湧かず、1歳くらいにならないと」
なんてよく聞くけど、女の私も同じだわ、と思います。


昨日、またひとつ「きゅんラブ」な瞬間がありました。
帰り道、歩いている私の手に、娘がそっと自分の手を滑り込ませてきたのです。
「赤毛のアン」の中の、リンド夫人に謝りに行った帰り道にアンに手を繋がれたマリラが
初めて湧く母性にとろけそうになって戸惑うシーンを思い出しました。
血が繋がってたって繋がってなかったって、
こういう瞬間を重ねて母性が確立されていくものなんでしょうね。

今朝は
「だっこ」
と言われて抱っこしたら、喜んで
「だっこされたーハート
と言いました。
最近、二語文ご無沙汰だったので、「二つ目がそれかよラブ!」と、またまたきゅんきゅんする私でした。  
タグ :かわいがり


Posted by みみもと at 12:41Comments(0)日記

2009年11月12日

スローな子育て

日曜日から発熱でダウンしておりました。私。
夜になるとやっぱり熱は出るのですが、
これ以上休めないので「いいのか?」と思いつつ出勤中。(昼休み中。)

土曜日から数えて4連休の間、娘と家で過ごしていたら、
完璧ではありませんがほぼ毎回尿意を伝えることができるようになりました!


トイレでオマルの処理をしていてふと顔を上げると、
娘が自分で便器に補助便座を乗せて、
踏み台もないのによじ登って用を足しているではありませんか!
「えっ!!すごい!自分でやったの?!」
とびっくり顔で叫んだ私に
「できたキラキラ!」という感じでにっこーと笑った娘を見て、
「ははーん、モンテッソーリの言ってるのはこのことか」
と初めて思い至りました。
今まで何となく反感を抱いていたけど(笑)、たしかにいい顔してたよ。


すごいなあ、すごいなあ、と感動しつつも。
保育園でも「なるべくトイレに連れて行って下さい」と頼んでいるけど、
たくさんの子どもがいる中、なかなか毎日は連れて行ってあげられない、と言われます。
毎日どころか、毎回連れて行ってほしいくらいなんだけど・・・
他の0歳の子たちと一緒におむつ替えシートに寝かされておむつ替えをされている模様。
家では寝る時以外パンツにしているけれど、
土日は私のお出かけが多くて結局紙おむつの時間が長い・・・
ずいぶん前から「しーしー」言って教えてくれていたけど、そういう状況でした。
それが、ほぼ4日間、5分おきに「しーしー」言われるのに付き合っていたら、できるようになった。
一日中、毎日、一人の子どもだけに向き合って、
その子のペースに合わせてあげられるって、そういうことなんだ・・・
一緒にいる間はスローに接するようにしているけど、絶対的な時間が少ないもんね・・・
と、一瞬切なくなりました。


仕事はやめられないしやめるつもりもないから、仕方ないと割り切れてるんですけれども。
昨日もね、育休復帰して半年経ったので雇用保険から給付金お金がもらえて!
家族3人で、「やったー♪みんなでがんばったもんね!」と拍手しました。
スーツ買うぞーグー  


Posted by みみもと at 13:00Comments(0)日記

2009年11月06日

ことばのあゆみ

先週の土曜日、初めて二語文が出ました。

し・か・も!
私が熱望していた言葉を言ったのです。


一日中私の用事に付き合わせてしまった夕方、半日ぶりに授乳している時のこと。
ふと口を離して、

「おっぱいオイシーネ~ぬふりん

とため息をつくように言って、またカポっと吸い付きました。


ラブうるうる!!



私、おっぱいいつまで?と人に聞かれるたびに
「『おっぱいおいしい』って言えるようになるまで」とお答えしていたくらい、
聞きたかった言葉だったのです。
まあ、たしかに「オイシー」って言えるようになってから、
「ねえねえ、『おっぱいおいしい』って言ってよう」としつこく頼み込んでいたので、
リクエストに応えてくれたのかもしれんけれども、
それならそれで、まさにそれを初めての二語文として言ってくれるなんてくすん
ツボをわかっとらす~!

しかも、うちの娘、初めて言えた言葉も「おんまい(=おっぱい)」だったのです。
どんだけおっぱい好きなの!
しかし私もおっぱいをあげるのが大好きなので、それでこそ私の子!と思ったり。


しかし、「『おっぱいおいしい』と言えるようになるまで」なんて言っていたのに、
そんなこと言われたら余計にやめられなくなっちゃいましたハート
おお、そうかいそうかい、そんなに好きかい、もっと飲め飲め♪



何だかおっぱい話になっておりますが、
昨日は私のいない時に、連れ合いの前で
「何か忘れたけど文章っぽいことを言ってた」そうです。

それから、ここ2・3日は「○○ね。」と言うと「ね~。」っと返事したり、
何かを指さした時に「ブッブーだ。」などと助詞を(?)使うようになりました。
コミュニケーションになってる~♪楽しい♪♪

  


Posted by みみもと at 13:11Comments(2)日記

2009年10月29日

いのちに対する感度

先日書いた、立ち止まらねばならない橋の上には大きな木が立っていて、
必ず枝にカラスがとまっています。
今朝の光景。

カラス「カァー カァー」
娘「かぁ~ かぁ~」
カラス「カァー」 
娘「かぁ~」

枝を見上げて全部返事してましたヒヨコ
何しゃべってるんだろ~。
知りたいけど、その言葉、私には理解できない。
羨ましい。
こんな時、大人=なんでもできる/子ども=大人に比べてできない、じゃないね、と思います。


それから、別の方向を指さし「わんわん」。
え~犬なんてどこにいる?!と目を凝らすと遠くにネコが猫
あれのこと?!ちっさ!!よく見つけたねえ。とびっくり。
小さい子って、動物好きですよねえ。
もしかして小さい子は目がいいの?
いやいや、命のエネルギーに対する感度が大人より鋭いんですね、きっと。

  


Posted by みみもと at 13:30Comments(3)日記

2009年10月28日

タガタメ

先日、初めてラジオにリクエストというものをしました。というか曲紹介。
DJさんに「何かありますか?」と聞かれた時、すぐに思いついたのがミスチルの「タガタメ」。


家ではほとんど音楽を流しませんが、車の中だけはipodをつないでいていつも音楽をかけている我が家です。
連れ合いの入れた曲の中に「タガタメ」がありました。


「子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
出来ることと言えば
涙を流し 瞼をはらし
祈るほかにないのか?」


何だか・・・暗い曲だなと思ったのが第一印象。
それから時は流れて娘が生まれて、またふとこのフレーズを耳にした時、
「祈るほかにないのか?の続きは何だと言ってるんだろう、桜井さんは」ととても気になり、
音量を大きくして通しで聴いてみました。


「子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない

タダタダダキアッテ (ただただ抱き合って)
カタタタキダキアッテ (肩叩き抱き合って)
テヲトッテダキアッテ (手を取って抱き合って)
タダタダタダ (ただただただ)
タダタダタダ (ただただただ)
タダタダキアッテイコウ (ただた抱き合っていこう)」


よかった・・・ありがとう桜井さん。

以前書いたように、妊娠中どんな子に育ってほしい?と考えた時、「優しい子に。」という答えがすぐに浮かんだのは、
世の中で起こる悲しい事件、それもコミュニケーションに端を発することにおいて、
自分の子どもがせめて加害者にならないように育てたい、という思いから。
そして被害者にもならないようにもちろん守ってあげられればよいけれども、
結局は自分で自分を守れるように導かなければならないし、
それもまたコミュニケーションの力が大きな要素を占めている気がします。

まずは、ただただ、愛されていると実感してもらえるように、一緒に生きていきたいなと思います。  


Posted by みみもと at 12:58Comments(4)日記

2009年10月24日

か・わ

毎朝、バス停まで歩く道のりには橋が架かっています。
いつからか、橋にかかると必ず娘は身を捩じらせて「(抱っこから)わー降ろして!降ろして!」と主張し、
欄干に身を乗り出して川面をひとしきり眺めないと先に進もうとしません。
落っこちるのが怖いので、背中を掴まえながら一体何があるのだろうと私も覗き込んでみますが、
いつもと変わらないただ穏やかな川面があるだけです。

その変化のないようで常に変化しつづけている水の有り様が
何の先入観もない幼い子どもには惹きつけられるものなのでしょうか。
「かわよ、かわ。」
と教えると、川面から目は離さないまま
「か・わ・・・」
とつぶやきました。

しばらく気の済むまで眺めた後に「あっ!バスが来たから行くわよ!」と抱き上げる時には、
抵抗せずおとなしく抱かれていきます。
人間にとってこういう自然若葉との交信の時間は必要なものなんだろうなあ~と感じるひとときです。
  


Posted by みみもと at 07:18Comments(2)日記

2009年10月09日

本気の叱り

シュタイナー的子育てでは、大声で叱りつけたり、この年頃の子にはしなくてよい、となっています。
しかしながら、まあ、社会的にしてはいけないこと・人を傷つけること・行儀が悪いこと、などなど、
やるのが子どもというもので。

「穏やかに、でも断固として『だめよ』とやめさせる」
を実行しているつもりですが、大抵、
ほんとにそのうち覚えるのか~?
つけあがるんじゃないの~?
と頭をかすめます。

なんせ、自分自身が0歳から「泣くなあッ!」と毎日怒鳴りつけられていたらしい
(そしてピタリと泣き止んでいたらしい・おかげで父はこれこそが正しい方法と信じきっています)
し、
4人姉弟妹の一番上だけあって、あと3人も同じように毎日毎日怒声を浴びせられ、
叩かれているのを見て育っているので、どうも
「あ~。そがんことしたら、叩かれがつしかなかね。(たたかれても仕方がないことである)」
というのが染み込んでいるところがあります。

大人になってから、自分が心から尊敬する方で「子どもを叩かない」という人に出会って、
どうして叩かないんですか?!と聞いたら
「人間には理性があるから。叩くのは親が感情に任せること。」
的なことを言われて、
「ははあ、この人は素晴らしい人間性があるからこういうことが言えるんだわ。無理無理~。」
っと端から自分では実行する気にならなかったことを思い出します。
二十代前半。


シュタイナー的子育ての本を読んでいて、腑に落ちたので冒頭のように接していますが、
たまに
「これは叱るべきでは?」
とか
「これは叩いていいんじゃ?」
と判断した時は叱ったり、ぺちんと叩いたりしています。
慣れていない娘は、私にしたら「そんくらいでえ?!」と思う程度で
「うぎゃーわーピッピ
と泣き出し、大暴れブー
これが普通なのかもしれないけど、
うちの姉弟妹は怒られたら父の恐ろしさに泣きもできない感じえーっと…だったので、
娘の素直な激しい感情バクハツに、
半ば「おいおい。うちの子だったら更に叩かれてるところだぜ~しずく」と呆れてしまう私なのでした。
しかも、自分でも一瞬で精一杯考えた末、今この時実行しなければ!という焦りもあり
半信半疑な状態で「ええい!」とやってる部分も否めないもんだから、
「う~ん、やっぱやるべきじゃなかったのかも~?」
と思ったり、中途半端。
本当にこれが正しい!と思えることでないことで泣かれるのも、ストレス~。
こんな叱り方、意味ない気がするぞ。


しかし、今日は迷いなく、本気の叱り声が咄嗟に出て
「おお~、これよ、これこれ私!」と思いました。
グリルで魚を焼いている時に娘が近寄って触ろうとした瞬間雷

「あぶないッ!あっちに行ってなさいッ!!」

って。
本能ですね。
相変わらず打たれ弱く泣かれましたが、自分が納得できる叱りだったので、
「これは仕方ない。(お互いに)」
と思えてストレス感じず後味すっきり(?)。
あんまり頭で考えすぎず、直感に頼ってもいいのかも?と思った出来事でした。
  

Posted by みみもと at 00:04Comments(6)日記

2009年09月30日

お母さん記念日

昨日、初めて娘が

「お母さん」

と言おうとしました。


「きゃーしゃ」

「たーしゃ」
の間くらいの音。
私を指さしながら言ってくれたので、意味もわかっているようです。


妊娠中、連れ合いと「何て呼んでもらおう?」と考えた時、
私は断然ハウス名作劇場ばりの「かあさん」「とうさん」がいいと主張したんだけど
彼は「普通でいいんじゃない~」と言うので、
「お母さん」「お父さん」に決定。

だから「お母さんよ」「お父さんだよ」としか教えていないはずなのに、
周りがみんな「ママ」「パパ」だし、
保育園でも先生方が「○ちゃん、ママ/パパがお迎えに来たよー」とおっしゃるので、
すっかり覚えてしまい、言い易さもあって、
「ママ」「パパ」とは少し前から言えるようになっていたんです。

でも、自分たちで決めた呼ばれ方なので、しつこく
「ねえねえ『おかーさん』って言ってよう」
とお願いしていたのですが、なぜか恥ずかしがって絶対に言ってくれない日々が続き。
昨日もダメモトで「『おかーさん』は?」と話しかけたら
気が向いたらしく、言ってくれたのです。


夕方、お友達に電話でその話をしたら、
「ねえ、1才過ぎてから、前よりもっと子どもが可愛くなったと思わん?」
と言われ、まったく私も思っていたところで
「思う思う!」
と盛り上がりました。
単に一緒にいる時間が長くなるほど愛着が増すということもあるでしょうし、
しゃべり始めたりして反応してくれるというのもあるのでしょう。


昔、中学の頃受験勉強の合間に一心に読んでいた「大地の子エイラ」という小説があります。
エイラはクロマニヨン人なのですが、捨てられてアウストロラピテクスに拾われまます。
アウストロラピテクス達は言葉を持たず、感情表現も乏しい中、
エイラ一人が笑ったり涙を流したりする様子が自分たちと違うことで、いじめます。
大きくなったエイラは村を追い出され旅をしていると、自分と同じクロマニヨン人と出会い、
初めて自分と同じように笑ったり泣いたり、声の出し方で気持ちを伝えたりすることを知り、
やがて恋をする・・・
というお話。
上・中・下3冊×5部くらいまであるという巨編で、
前半は辛くて先が果てしなく感じられ、読むのをやめようかと思うほどでしたが、
気持ちが通い合うシーンから物語がぐっと面白くなり引き込まれました。

それまでの私は環境問題にとても心を痛めていて、
「大きくなったら環境問題に関する仕事をする!」と宣言していた
(正確に言うと「環境庁に入る!」とえーっと…環境と名のつくものはそれしか思い浮かばなかった)
のですが、この本を読んで夢が変わりました。
「コミュニケーションてこんなに人の心を惹きつけるものなんだ。
私たちが言っている『環境』も結局は人間にとっての環境なんだ。
感じたり考えたりできる一人一人の人間って何てすごいんだろう。
やっぱり、そういう『人間』を大事にする職業に就きたい。
一人でも、人為的に辛い思いをする人間が少ない世の中にしたい」
と考え、今度は「ユニセフに入り、貧困問題に携わりたい」と思うように。
(相変わらず大きいところしか目に入ってませんでした日の出

それくらい、私の人生を大きく変えた本なのですが、
昨日の「おかあさん」もまた、私をエイラのところまで引き戻しました。
コミュニケーションがどれほど人間にとって必要なものなのか。
人生の折々に、この本をまた思い出す気がしました。


新生児の頃は特に、自分から出てきたというのが信じられないというか
親という実感がないまま、ただただ新生児のの可愛らしさに引っ張られるように
お世話をしてきたような気がします。



昨日やっと、お母さんになれたような気がして、
通園中の墓地を娘を抱っこして、泣きながら歩いた朝でした。  
タグ :言葉


Posted by みみもと at 13:04Comments(4)日記

2009年09月21日

田舎の一日

今日は、私の祖母、むすめにとっての「ばあばあちゃん」の家に顔を見せに行きました電車
南阿蘇村にあるばあばあちゃんの家まで、市電とJR、南阿蘇鉄道を乗り継いでの約2時間。
途中、外国人ツーリストと仲良くなったり(4人も。今日は観光客が多かったな~)、
車窓からの風をびゅうびゅう感じたりブー
私の妹も一緒で、抱っこしてくれたりしてたいそう助かりました♪


さて、ばあばあちゃんちでは最初は少し固まっていた娘ですが、
お盆に行ったばかりだったこともあってじき慣れたよう。
ばあばあちゃんにせんべいを食べさせたりしずくごはんを食べさせてもらったり、
なかなか打ち解けておりました。

二人を見ていると、小さい子どもと老人ってなんだかペースがかみ合ってるな~って感じました。
二人とも、急ぐことはない・必要もない生活だもんね。
ほんとはみんなそうなんだろうけど、きっと急がなきゃいけない気がしているだけ。
たしか、シュタイナーの何かの放物線でも幼年期と老齢期が呼応しあっていたような?うろ覚え・・・


午睡の後は、ビニルハウスの水遣りに付いて裏の畑へヒヨコ
巨峰の棚、芽を出したばかりの小松菜の畝、オクラ、
種から蒔いたクリスマスローズの鉢、物凄く太い夕顔、
その他お花さんたちに水を遣るのにたっぷり数十分はかかります。

その間娘は桶の中をひしゃくでかき回すのに熱中し、もちろんビショビショ。
その足で畑を歩いて靴は土みどろ。
いいぞいいぞ♪だんだん田舎の子になってきたぬふりん


畑の際にはざくろの木が植わっていて実がたわわ。
採っていいよと言われたので娘にプレゼント。

























水遣り後戻ってきたら、里芋の葉の上に並べてありました。

























柿も空に鮮やかに成って、秋の色です。























  


Posted by みみもと at 01:24Comments(0)日記

2009年09月17日

自然の歌

先日、保育園からの帰りに園庭をぶらぶらスローモーに歩いていたら、
ツクツクボーシ♪が聞こえてきました。

私、蝉が世界で一番嫌いな虫なので(本当に、見ると寒気がしますしずく
ツクツクボーシの本名が何なのかもわからない体たらくですが(いや、本当の名前なんでしょうか??)
見るのは嫌いでも、蝉の声に風情を感じたりは人並みにしますよピッピ


で、ツクツクボーシ♪が鳴きだして、声のする方の木をじっと見た娘は、
次の瞬間ツクツクボーシ♪のリズムに合わせて踊りだしましたヒヨコヒヨコヒヨコ


音楽が大好きで、隣のクラスの歌にも反応して踊っているという娘。
彼女にとっては、ツクツクボーシ♪は歌だったのです!

娘がまだお座りができなかったくらいの頃に、
私の父の家の盆栽のもみじの葉っぱが窓辺で風に揺れているのに向かって
手を振っているのを見た時と同じ感動がありました。
彼女にはもみじが手を振っているように見えたのでしょう。
自分の手がもみじみたいなのに、もみじに向かって手振ってる!って、一句捻り出したくなりましたよ。
あ、でも何て詠んだかもう忘れちゃったなあ・・・

子どもと自然とのつながり方って、こういう風なんですね。
  


Posted by みみもと at 00:23Comments(0)日記

2009年09月14日

これかあ!

昨日、娘のスペースのテーブルの上に積み木が並べてありました。


色別に並べてあるなんて、初めてのことです。
今までは私が並べるのを壊して楽しんでいる方だったのに。

モンテッソーリの数に関する秩序の敏感期、第一波来た?!


これで、つれあいの仕業だったら笑える・・・
と思って一応確認したけど違いました。笑
  


Posted by みみもと at 00:04Comments(0)日記

2009年09月09日

小さな自然

私たち家族は、熊本とはいえ雄大な自然は望むべくもない街のど真ん中に暮らしています。
だからこそ、娘が通う保育園は多少なりとも自然の中にあるところがいいなあと思っていました。

保育園選びにあたってはいろいろ調べましたが結局ほとんど選択肢がなく、
とりあえず入れただけラッキー!
その上、すでに何度か書いているように、
気持ちのよい墓地に隣接した保育園に入ることができました。
遠く山も見晴らせます。
車の交通の激しい道路からも一本路地入っているので、
聞こえるのは蝉と子どもたちの声、それから隣の学校の部活の音くらい。

職場からはバスでお迎えに行っていましたが、
あまりにも遅れてくる(とっても遠くから来るので仕方ないのです)ことに耐えられなくなって、
ある日歩けるところまで歩こう、と思って歩き出したら、意外にすぐ着いてしまいました。
所要時間30分。
結局、20分待って10分乗ってたら同じくらいバスでもかかるのです困ったな
娘が歩けるようになる前はベビーカーに乗せて家から保育園までの間を歩くことが多かったのですが、
歩けるようになると逆に危なくて、ウォーキングの時間が減っていたところなのでちょうどいい♪
「公共交通機関を使ってる」と書いたばかりですが、
外で過ごしやすい季節になったこともあり、私一人のお迎えに関しては歩くことが増えています。


昨日は道すがら、濃いピンクの今にも咲きそうな花を見つけました。
今朝は、墓地の門の上に出ている白い月を娘が「あ」と指さしました。
本当は、子どもは大自然の中で四季の移り変わりを感じながら育つのがいいんだろうなあ
と思うけれど、諸事情ありそうもいきません。
まあ、優先順位の問題なんですが。
街の生活もなかなか気に入っているのです。
大自然の中に住んでいても家の中で電子機器に囲まれて暮らす人もいるんだろうし。
街なかに住んでいても、熊本では小さな自然がそこかしこにあります。
今まで気に留めていなかった木や花や草を見つけると、
存在するかどうかというよりも、自分が気づくかどうかなんだなあ、と思います。

郊外に行くと「空が広いなあ!」とびっくりします。
そんな驚きも、新鮮でよいかも。
幸い熊本は、ちょっと足を伸ばせばすぐに海・山・川なんでもあります。
なるべく休日にはそういう場所に連れて出掛けて行って、
自分たちの生活の中でできる範囲で自然に触れさせてあげるようにしたいなあと思います葉っぱ  


Posted by みみもと at 12:55Comments(0)日記

2009年09月08日

冬ごもり

代表を務めている「いいお産の日in熊本2009」の当日まであと2ヶ月を切りました。
(詳しくはうみ月つき http://osan.oten-yan.netをご覧ください)

このイベントをやることになった時、
20代一生懸命お仕事がんばったから、今度は自分のやりたいことをやる30代がやってきたんだ!
20代で培わせてもらったスキルはこういうことためだったのねー♪
と、嬉しくなっちゃいました。
やっと、私の時代(自分の人生の中でね)が来た!(?)
1月に企画してから4月までの間は「育休の間にできることを!」と
スケジュール帳をぎっしり埋めて動き回り、
職場に復帰した5月からは仲間の手を借りながら
仕事と家事の合間の貴重な自分の時間として、楽しんで目まぐるしくやってきました。

しかし、最近、エンジン切れ気味ですブー
9ヶ月間、全然立ち止まってないもんな~。
期間限定だから立ち止まる暇もなかったし。
実際には文字通り走り回っていて、体も秋冬大好きで絶好調なのですが、
後援やら取材依頼やらの書類上の手続きばかりで頭の方がうんざりしてきちゃいました。
みんなに会えると元気出るから、次のミーティングまでの辛抱だ!と言い聞かせつつ、
今はイベントが終わったらしばらくボーっとしたい心境です。


なので、この冬は、家で静かに針仕事の日々にしようと思います♪
作りたいものリストは長々とあるのですメモ
冬ごもりを終えたら、また春から何か始めちゃおうと思います若葉

  
タグ :手仕事


Posted by みみもと at 12:54Comments(3)日記

2009年09月07日

おうちの仕事

娘が半年くらいの時、所属する生協主催の金銭教育についての講演会に行って、
おこづかいお金の話に絡んでの「お手伝い」について考える機会がありました。
お手伝いでおこづかいをあげるのか否か?という話題。
考え方の問題だけれど、と前置きして、講演者ご自身は
家のことのお手伝いは報酬制にしていません、とのことでした。
お金がもらえるからするのか?そうじゃないだろう、と思う、と。
その方はフリーなので自宅で講演の準備などの仕事が発生することもあり、
そういう場合には、例えば「ホチキス100部留めてくれたら100円」というような形の
報酬を渡すことはあります、とのこと。
とても腑に落ちる話だったので、私もそうしよう~っと思いました。

その時はまだまだねんねだったので、いつかのために、という感じでしたが、
先日、NHKの番組「となりの子育て」でお手伝いについてやっていて、
今度はもう娘も立って歩いていろいろなことができるようになってきているので
具体的に「お手伝い」について考えてみました。


まず、「お手伝い」というと、「本来誰かの仕事なのを手伝っている」という感じがするので
「お手伝い」という言葉をやめようと思います。
モンテッソーリのように遊びを「お仕事」として扱うのは抵抗がありますが
家事は「家」の仕「事」なのですから、これこそが「お仕事」という気がします。
ですから「○○(娘)のお仕事」としてそのお仕事の係に任命することにしました。

それから、お仕事をやった時にほめる言葉として「えらい」と言わないようにしようと思います。
家族が家の中の仕事をするのは当たり前だと思ってほしいので。
その代わり、やり方を工夫してうまくなったことや、自分で仕事を見つけてやった時には
めっちゃほめようと思いますパチパチ


なんて考えている間に、娘は勝手に、食事が終わったら食器を重ねて台所まで持ってくるようになりました食事
途中でもらおうとしても、絶対台所までは渡してくれません。笑
初めてのお仕事です♪

第二弾として、「カーテン開け閉め係」に任命しようと、
朝起きたら「カーテン開けて~」、夕方には「カーテン閉めて~」と頼んで一緒にやってもらっていますが
閉めることしかまだできないみたいですえーっと…
か、かわゆい。あっすみませんピッピ親ばかだ。
  

Posted by みみもと at 00:41Comments(4)日記

2009年09月04日

交通公共機関を使うわけ

我が家では車を一台所有しています。
代々、義父からのお下がり車
今時の子育て世代向けな車と違って車高や天井の低いセダンなので
ベビーシートに乗せる時頭を打ちつけてしまう雷のが玉にキズだけれども
あるだけでありがたく使わせていただいていますお願い

しかしその車は夫が日中仕事に使うことが多いので、私はバスで通勤。
娘を保育園で降ろしてまた同じ路線のバスに乗り込む、
帰りはその逆を毎日繰り返しています。
会社から保育園まで車なら10分の距離が、バスだと待ち時間が20分+乗っている時間が10分。
保育園から家までは車なら10分、バスだと待ち時間10分+乗っている時間10分+歩き10分。
合計すると、40分も長くかかっちゃう!
しかもその間、夕方で疲れもあり数時間ぶりに会ったもんでおっぱい連呼、
ウナギのように反り返ってゴネるわー娘をなだめすかしつつ、
自分の荷物+保育園の荷物+抱っこ(もしくはスローモーな歩みにお付き合い)して前に進むのは、
大した距離じゃないのに果てしなく家が遠く感じられ、途方にくれます。


毎日、
「ちょっと無理したらもう一台車持てるんじゃないの?
こんなに疲れるくらいなら車でその便利買った方がいいんじゃないの?」
と考えます。
そして毎日、やっぱりバス通勤を選んでいます。


理由はいろいろあるけど、一番大きいのは色んな人との交流があること。

バス停までの墓地の入口には小学生の女の子が二人、毎日座っておしゃべりしています。
私も帰宅部だった中学生の時毎日友達と公園の入口に陣取っていたのを懐かしく思い出します。
昨日は娘がその前でぴたりと動きを止め見入っている様子。
どうやら食べているアイスクリームに釘付けになってしまったようですアイスクリーム
二人の世界なのかな?と思ったけれど、挨拶したら気持ちよく返してくれました。

バス停でもバスの中でも、周りに座った方たちが小さい子どもがいるとなると
目を留めてにこにこしながら見守ってくださいます。
娘は飽きてどんなにご機嫌ナナメになっても
知らない人と目が合うと笑ったり手を振ったりして遊び始めるので
私としては大助かりブー
今は歩くようになって使わなくなりましたが
ベビーカーを担いでバスに乗り込んでいた頃は
ほぼ毎回どなたかが見かねて手を差し伸べてくださっていました。
本当に、毎日一日で何人の知らない人とお話していることでしょう。

娘もバスに慣れたもので、乗る時には整理券を自分で取り、
降りる時には自分で運転手さんに「はい!」と言いながら渡さないと気がすみませんえーっと…
大抵オタオタして時間がかかりますが、「ゆっくりどうぞ」なんて声を掛けていただくことが多いです。
おかげで、運転手さんには必ず「お世話になりました」とか「ありがとうございました」と言う癖が付きました。
でも、考えてみたらあの巨体を事故せずに目的地まで運転してくれるだけでありがたいことですよねバス

公共交通機関を使っていて、まだまだスロープ付きや低床バスが少ないとか、
時刻に遅れてくるとか、本数が少ないとか、A地点からB地点へ直接行く路線がないとか、
電停から歩道までの間に歩道橋しかないとか(ベビーカーでどうやって渡れと?!)
いっぱい言いたいことはあるんですが、
それもこれも、使ってみて、バス会社に伝えたりしていかないと変わっていかないんじゃないかと思うのです。
ベビーカーで乗り込もうととっても困っている母子の姿をたくさん見せれば伝わるものもあるのかなと思うし。
助けようかどうしようか、としている方が目の端で見えたら、勇気と声を出して
「すみません、手伝っていただけますか?」
と言うことにしています。
私だったら、言ってもらえた方が手が出しやすいから。
手助けしようかどうか迷って、タイミング合わなくてせずじまいだった時ってすっごくモヤ~ってするし!
たくさん周りに迷惑をかけてお世話になって
「ありがとうございます、おかげさまで助かりました」
と言っている母の姿を、覚えている訳はないけどたくさん娘に見せて
社会ってお互いに助け合うものなんだな、ということを体で沁み込ませたい。


とはいえ、「あーもー誰か迎えに来てくれないかな?!」と思う日がほとんどです。笑
夕方お近くをお通りの際はぜひご一報ください携帯電話
  


Posted by みみもと at 23:39Comments(3)日記

2009年08月30日

手仕事

今日、初めて娘が起きている間に刺繍ができました。
手芸が大好き(あまり上手ではありませんが)な私にとって、
赤ちゃんがいると危なくて針仕事ができないのは結構ストレスでしたブー
ミシンなんか特に起きてると危ないし寝てると音で起きるししずく

今朝は夫が遅起きで、娘と静かに過ごしているうちに
ふと、何となくできそうな気がして道具を出してきてみたのです。
そしたら、じゃれつくでもなく自分で絵本をめくったり
座椅子に座っている私の肩にもたれて手元をじっと眺めたりと
全然やめさせられることなく夫が起きてくるまでの1時間半ほど刺繍が進んだのでした☆

今作っているのは、フランス刺繍付きの巾着ポーチ。
9月末の義母の誕生日にとスパートかけていますが
実は春からやってます。笑
なかなか進まず間に合うのかしら?!と焦っていましたが、
娘がこの調子なら何とかなりそう!


私は子どもと一緒に遊ぶのが苦手で、
性格上どうしてもすぐに片付けようとしてしまったり
積み木を秩序立てて並べてばかりしてしまったりするので
むしろ邪魔せず一人の世界に没頭させてあげていることがほとんどなのですが、
娘に申し訳ないような気持ちになることもありました。
それが、シュタイナー的な幼児教育の本では一緒になって遊ぶ必要はなくて、
見守りつつ大人は大人の手仕事を傍らでやっているのがよしとされているのを読んで
なんだあ~よかったんだあ、とホッとしたものです。

今朝の時間は、そんな私にとって感激モノでしたピッピ
まだまだ無理かと思っていたけれど、子どもはちゃんとわかってくれるのだという実感が増した出来事でした若葉
  


Posted by みみもと at 14:14Comments(4)日記

2009年08月09日

決心

宣言します。
もう、娘の前ではPCを開かないぞ!


というのも、TVはほとんど点けない私ですが
その分情報はインターネットに頼っているところがあり・・・
家計のために新聞も取ってないし(^_^;(共働きのため、どちらも会社で読んでいます)
一方的に流される情報よりは、自分で選べる感があります。

しかししかし、ついにとうとう、娘がクリックできるようになってしまったのです。
絶対、中学生にちかくなるくらいまではいじれるようにさせない、と思っていたのに。
まだわからないだろうと思って、抱っこしながらブログを更新したりしていたのがいけないのです。
触りたい時に離そうとするとバタバタ・キーキー言って怒ります。
親がやっていることは真似したくなるに決まっているのだから、
娘に触らせたくないなら自分がいじっているところを見せなければよかったのです。
わかっていたのにやめられなかった私が悪い!


なので、手始めにパソコンに布を被せて普段は見えないようにしました。
そして、娘が眠ってからスイッチを入れる。
起きたら途中でも保存して切り上げる。
ルールをシンプルに考えたら、まだ数日ですが続けられるようになりました。
更に確固たるモノにするため、ここで宣言させてもらった次第ですパー

  

Posted by みみもと at 16:13Comments(0)日記

2009年08月05日

夕陽がキラキラ

毎日、会社から娘をお迎えに行くのは夕刻。
降りたバス停からの間に、保育園に隣接する寺の墓地を通ります。

毎日お墓なんて嫌だなあ、なんて思えないこの墓地。
毎日気持ちよい風が吹きぬけるたびに死者が眠っている墓が持つ生々しさを風化させるらしく
穏やかな老人のような顔を見せています。
ただ古いだけじゃなくて、人の手がほどよく入っていて大事にされていることも
この雰囲気の源なのでしょう。
7月の盆前には何人もの方が草取りに来られていて、日に日に地面が見えてくるのには驚きました。
その土にも、長雨とこの暑さで週末明けにはまたわさわさ草が
若葉
その日の空気と同時に、ダイナミックに移ろう四季も感じられます。
こんな墓地は初めてです。
「アンの愛情」(出たアンフリーク
本)や「虹の谷のアン」で
やたらにモンゴメリ(著者)が「気持ちのよい墓地」を細かく描写していて
「そんな墓地あるの??」と訝しんでいたのを、
「これのことかあ」
と、一人で通路を歩きながらよく思い出します。


さて、その墓地の門に向って歩くと、今の時期は必ず夕陽が飛び込んでくることになります。
まるで、天国に続く道のようです
キラキラ

私は、夕焼けを見るのがそれはそれは好きだったのです。
それを、夕空を見て思い出しました。


思えば、夕陽に向かって帰り道に歩くなんて、何年ぶりでしょうか。
いや、学校より東側にしか住んだことがないばかりに、
夕陽を見るには振り返り振り返り歩くしかなかったことを今思い出しました。
その代わり、高校生の頃、自転車を漕ぐ背中いっぱいに夕陽を浴びながら、
「あ、私たち今、黄金色の光の中を走ってる!!」
と確信に満ちた気持ちを全身で感じた瞬間をはっきり覚えています。
これが青春なんだ!と
肯く

夕空を眺めるブームは中学生の頃がピークで、
通っていた学習塾の休み時間になるとすぐ外に出て空を眺めていました。
オレンジ色の空よりも、それが終わった後の青と金色の間のエメラルドグリーンの瞬間を捕まえたい一心で、休み時間がずれていると
「今日は見れなかった・・・
くすん
と悲しくなっていました。

夕空を眺めずにいる人たちを
「よくこんなに美しいものに目を向けず、よく仕事(勉強)なんかしていられるなあ!」
「毎日こんなに素晴らしいドラマが繰り広げられていることに、何故もっと世の中は注目しないのだろうか?!」
と真剣に考えていました。
と、夫にこの間言ったら
「本気で他の人は興味ないって思ってたわけ?」
と呆れ顔をされました。そうそう。笑
この独りよがりが青春の証って感じがして我ながら愛おしいです。
夫も、彼なりの夕空との時間を過ごしていたそうです。


そんな私も、大学生になり夕方起きて朝寝る
晴破綻した生活を経て深夜帰宅のサラリーマンに突入し
夕方空を見る余裕を失くしてから早12年が経ち、
やっと夕空に目を向けられる生活を手に入れることができたというわけです。
これも娘が生まれてくれたおかげ!!ありがとう娘よエヘッ

こうやって、子どもは生まれてくることで、直接子育てに関係しないことでも
親のところに思わぬプレゼントを持ってきてくれているような気がしてなりませんプレゼント


これから季節とともに、毎日少しずつ空の表情も変わることでしょう。
薄暗い墓地は想像するとちと怖いのですが、
それもまたをかし、なのかもしれない?と、楽しみです。
  


Posted by みみもと at 23:51Comments(4)日記