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Posted by おてもやん at

2009年07月29日

家の中のものたち

私の趣味は片付け、特技は整理整頓です。
not掃除。掃除もキライじゃないけど、ほこりは溜まってから一掃するのが快感
ハート
なので、こまめにする方ではありません。敢えて。

忙しくて片付ける余裕がなくて部屋に生活感が出てくると、途端にイライラ。
他のことではほとんどイライラすることはないから、唯一の理由ですね。
そうは言ってもできないものは仕方ないので、大抵週末にまとめて掃除含めてやって、
うちは週に一回キレイになります。

はーすっきりーキラキラ


どのように片付け&整理整頓好きかというと、
本は、高さ・奥行き・ジャンル・著者(文庫本なら背表紙の色)のどれによって分類して並べるか悩むタイプ。
先日、着物&帯及び小物類の分類表をエクセルで作成。
といった具合です。

また、片付け好きというより、そもそも散らかって見えないために、
家具の木目はトーンを揃える。輪ゴムは生活感を演出するからベージュしか取っとかない。
ハンガーは揃えたいとこだけどお財布と相談で百歩譲ってクリーニング屋の黒のプラのリサイクルのみ。
家の中の物という物の置き場所を決めている。
といったことがあります。



そんな私なので、子どもができたから家が散らかるなんてことは、自分的に許せません。
自分のものを自分が散らかしてイライラするならまだしも、
人(子ども)が散らかしたものを私が不愉快だなどというエゴな理由で怒るなんて申し訳なさすぎる
げんなり
うちは4人姉兄妹で、片付いていないと途端に不機嫌になる父が帰ってくる時間が近づくと大騒ぎ。
早くて2分、平均5分、ちょっと大がかりで時間かかって10分で、
元の大人しか住んでいないようなリビングに戻っていたものです。
あれは父の不機嫌への恐怖によるたまものかもしれませんがえーっと…
そんな経験から、子どもが居るから部屋が片付かない、ということはない、というのが私の持論です。
子どもが何人居てもきれい好きな人の家はきれいだし、
子どもが居なくても片付けが好きでない人の家はそう片付いていないものだ、
と片付けが気になる目線でいろんな部屋を見てきた私は思います。
そんな言い訳しなくても、片付けが好きでないなら片付いてなくていいんじゃないかと思うんですよね。
片付いてなくても素敵な部屋はたくさんあるもの。
楽しく暮らせればそれでいいじゃないですか♪


自分の家が生活感あふれる空間になるのが耐えられない私ですが、
そうは言っても子どもは触ったものをその辺に置き去りにするものです。
それは知ってます。
なので、娘のグッズ類、服から布団、おもちゃ、帽子、タオル、絵本にいたるまで、
買う時の基準の優先順位トップはいつでも「部屋に落ちていてもデザイン的に許せるか否か?」
もちろん機能性だとかということもあるけど、この観点で悩みぬいた上でうちにお迎えしています。


赤ちゃんのグッズって、ひとつひとつは小さいというだけでかわいいといえばかわいいんだけど
集まると雑多なものが多いと思いませんか?
それに、赤ちゃんだからこそ可愛い服というのもあると思うけど、それ大人だったら着るか?!
という柄を着せるのは、私は子どもに失礼だと感じます。
インテリア業界はかなりお洒落なものが一般化してきているようなのに
おもちゃはその感性にフィットしてるのか私には疑問なものが多い~。


自分で買わなくても、いただきものやお下がりもたくさん。
高価で気に入らないデザインの新品(そんなん誰も買うわけないけど
えーっと…)より
好きなお下がりの方が100倍嬉しいので、お下がり大歓迎お願いありがとうございます。
自分では買わないけどこういうのも可愛いね、と思うものも出産祝なんかでいただいて
どちらもくださる方の思いが詰まっているから、本当に嬉しい。
だがしかし。
いろいろいろいろ、妊娠してから含めると丸2年ほど、上記の赤ちゃんグッズ問題について考えた結論。

・プラスチックのおもちゃ(一部除く)
・化学繊維のぬいぐるみ(一部除く)
・キャラクターもの(一部のミッフィーとピーターラビット除く。完全に私の趣味。)

は私の家の中にはいなくなることになりました。(とはいえ「一部」も多い・・・)
さようなら。ごめんね
くすん


シュタイナー的子育てに魅かれたのは、こういったことが単なる自分の趣味の問題だと思っていたのを
後押ししてくれたことも大きいんだろうな、と振り返って思います。
論理的に説明されて、理屈っぽい私も納得!
それにもまして、シュタイナー教育に用いられるものたちは直観的に素敵
ラブ!ほしいラブラブ!!と思うようなものばかり。
たーだ、いいお値段するんですよね~
お金
そこは、代わりが利くもので工夫をして
我が家なりのシュタイナー的子育て空間を創っていきたいと思います
家  


Posted by みみもと at 15:13Comments(2)グッズ

2009年07月26日

読んでくださる方へ

このブログを始めるのにかなり時間がかかったということは最初の日記に書きました。

子育てをテーマに書くとなると、自分の価値観を全面に出すことになり、
情報提供だけならまだしも、
日記を書くとなると、私はこれを大事にしたい、ということに付随して
こうはしたくない、ということも書かざるを得なくなります。
いや、そういったことに触れずに書ける方もいらっしゃるのだろうけれど、
私の場合は避けきれないです。

それでも書きたいと思ったのは、
「シュタイナー 熊本」で検索した時になかなか情報が出てこなかった頃の失望感が強かったからかな。
結局、ネット上に情報が流れていないだけで、
実践されている方があちらにもこちらにもいらっしゃるとわかってきて、
もったいない!と思ってしまった。
私みたいに情報の片鱗でもいい、と必死に探している人に
きっかけとなる部分だけでも見つけやすいように載せておけば
状況って変わるんじゃないかって。

実際、このブログを始めてから、シュタイナー的な子育てを実践されていたり、価値観の近い方との
すでにたくさんの出会いがあり、今ではやっぱり始めてよかった!と思っています。
知らない方でこれを読んでへー、と思ってもらって熊本にシュタイナー的な子育てをしてる人が増えたら
シュタイナー幼稚園や学校ができたり、
今が1なら3か5くらい、各地で催しや勉強会・体験会などが行なわれるようになったりして、
地理的にも多分金銭的にも、もっと参加しやすくなるんじゃないかなって。
手間隙かかることは理解できるけど、子どもにあまりお金をおかけるのは趣味じゃない。
↑あ、ほらこういう風に、あちこちで私の価値観が滲み出てしまうのです・・・


で、初めの部分に戻ります。
こんなこと書くのも大前提すぎておかしいとは思うのですが、
私がここに書いていることは、私の価値観なので、
私が「こういうの嫌い」とか「こうはしたくない」とか書いていることは
読んでくださっている方の価値観を否定するものではありません!
読んで嫌な気持ちになる人がいないように、と細心の注意を払って書いているつもりですが
「嫌い」も書かないと嘘になっちゃう時もあると感じるのです。
上の表現であれば「私の趣味じゃない」と言っておるのであって、
お金をかけたい方はそうすればよいと思います。
TVをなるべく見せない方針ですが、TVを楽しんでいる親子がいるならそれは素敵だと思います。
みんなそれぞれの事情を抱えながら自分なりに考えた育児をすればいいと思っています。
子育ては生き方そのものですものね。
みんな違って当然です。


こんなこと書いたって、ここ読まないで別の部分だけ読んで不愉快になる人もいるかもしれないんだから
意味ないかもしれないし、自己満足の世界なんだけど、
それでも一度書いておかないと、なかなか思ってること書けない、と思って。
ずっと、こういうことが気になってミクシにも思ったこと書けなくて、
もっと価値観全開で書きたいなあ、と思っていたので、ここはそういう場にしたいと思っています。


ちょっとすっきりしました。
  

Posted by みみもと at 07:55Comments(2)日記

2009年07月22日

どんな子に育ってほしい?

妊娠して、出産するまでの間、どんな名前がいいかな?とあれこれ考えていると、
どんな子に育ってほしいか?ということに思考がつながっていっていました。

まずは、健康に生まれて来てほしい?

じゃあ、健康に生まれてこなかったらどうするの?

同時に、よく報道されていた人の数十倍の早さで老いる病気のアシュリーちゃんのことを思い出していました。
一般的に見たら難病な訳だけれど、辛いこともいっぱいあるんだろうけど、
どこまでも優しくて自分の運命を受け容れていて、
お母さんのところに舞い降りた天使みたいだなと思っていました。
どうしたって、何%かの確率では障がいを持った子どもは生まれてくるもの。
私が通っていた産婦人科の先生は出生前診断(性別は別ですけどね)をしない方針だったこともあり、
どんな子どもが生まれて来ても受け容れようと決めていました。


でも、どういう子どもに育ってほしいか?については、自分がどういう道筋を子どもに示していくのか、
という柱でもあるのでぶれないことは必要だな、と思いました。
結果、必ずしも、親が思い描いた通りにならないとしても。
そこも飲み込んだ上で、「私はこれが大事だと思う」ということを伝えていく。

人間として一番大切なことは何か?

と、考えた時、「優しい人になってほしいな」と思いました。

というのも、私は20代後半の後半で夫と夫の母に出会い、
「どうしてこんなに優しいの?!」
とびっくりして結婚したようなところがあります。笑
どこでもそうだろうけど、うちの中で大事とされていたことと、
彼の家庭で大事にされていたことが全然違っていて、本当に驚きました。


うちでは、「ちゃんとしてる」ってことが大事だったと思います。
靴を揃えろ、字が汚い、塵が落ちてるのに気がつかないor気が付いてるのに拾わない、
教科書に落書きした、教科書とノートの向きが逆、箸の上げ下げ、肘をつくな、左手を添えろ、
食べるのが遅い、ドアは静かに閉めろ、足音がうるさい、
お客さんが来る前は水回りをきれいにしろ、人の悪い噂をわざわざ本人に伝える必要はない、
お店のウィンドーに手形をつけるな、
などなど、ということで毎日怒られていました。

その上に「粋」さを求められていた。笑
父からの最大級のけなし文句は
「お前はほんとーに気がつかんもんな。(よく気がつく子だ、の逆の意)」
「お前、いもねーちゃんだな(父の視点からみるとださい、ということらしい)」
「百姓一揆のごたる髪ばしてから(夕方になると、子どもの結わえた髪って解けてきますよねえーっと…)」
意味はわからないなりにも、何だかとても嫌なことを言われているようだ!とだけはしっかりわかり、
格好には気をつけるようになったかも?


一方、彼の家庭では、そういうことには重きを置かれていない感じ。
いったいどうやって育てるとこんな(よい)息子に育つんですかお母さん?という質問に
「そうねえ~。何って言われると難しいけど、そう考えてみると、
とにかく人に思いやりをもちなさい、ということだけ言ってきた気がするわね~」ってキラキラ
普通のことなのかもしれないですが、ベタはあまり歓迎されない家に育った私にしてみれば
「そんな道徳の教科書みたいなこと真顔で言う人今時居るんかーい!」
とカルチャーショック。

同じ優しさでも、うちで「優しい」という言葉を聞いたのは
母が軽い交通事故を起こした時、いつもこわーい父に連絡した後、
大丈夫だった?怒られなかった?って心配顔で見上げたであろう私に
ふふん、という顔をして
「あの人は、こういう時は優しいのよ。」
と言ってたのを、やけに「やるやんパパニヤリ」ってな感じかたをしたのを覚えているくらい。

それはそれで、別のあり方なので、どっちの家庭の方針がいいとか言ってるわけじゃないのです。


ちょっと脱線しましたが、そんな優しい夫と夫の母に出会い、
「きっと私に足りなかったものは優しさで、それに気付かせるために神様は出会わせてくれたのねハート
と、今でも本気で思っております。

たぶん、「ちゃんとしてて、粋である」ことが重要視されてきた我が家で育った私は、
意識しなくてもそういう傾向の子育てをするだろうことが予想されるので、
逆に自分に足りない部分、「優しさ」をテーマに子育てするくらいでちょうどいいんだ、と。

それから、ナウシカのマンガを古本屋で全巻で700円!でゲットして読みふけっていたので、
「ナウシカみたいに優しい(そして強い)人になってほしいな。」
と思っていました。
虫・・・私は嫌いだけどアウチガマンするよ娘のために!

自分が愛され、自分を肯定できた時にはじめて人に優しくできる。
無理に人に優しくするんじゃなくて、そうしたい、と思える人間だったら、生きていくのが楽しいはず。
今の世の中、悲しい事件がたくさんあるけど、
コミュニケーションがうまく取れないことだけが多分たった一つの原因で、
少なくとも自分の子どもを加害者にしないためには
「人が好き」というベースを作ってあげることしかできないんじゃないかと。
この話は長くなってきたのでまた今度・・・


実際出てきたら、顔を眺めまわした後、つい手と足の指が5本ずつあるかどうか確かめてしまったのも事実。
矛盾してるけど、人と同じでないということは困難を伴うことが多いし、
わが子にはそういう目にできるだけ合わせたくないと思うのも親心だから仕方ないかー。
などと、カンガルーケアの間考えていました。
そんな時も、私って理屈っぽい(^^;

子育てするようになると、このまま傷一つなく、痛い思いせずに生きられたらいいのにね、と思うようになり、これもまた親心。
それでも子どもは頭をごちんごちんいろんなところにぶつけながら、逞しく生きていっておりますヒヨコ
  


Posted by みみもと at 15:12Comments(5)日記

2009年07月20日

オイリュトミー&にじみ絵初体験

昨日、念願の「虹の雲」の例会に行ってきました!


会場が城南町ということで、熊本市中心部に住んでいる私にとっては少々遠くて
開催されていることを知ってからもなかなかお邪魔できずにいたのですが、
今回はedibleさんとお会いするという目的も加わって、よいきっかけになりました。
edibleさんありがとうございます!

さて、城南町までバスを乗り継ぎ1時間、
更にメンバーの方に近くで車で拾ってもらってようやくたどり着きましたバス車
今回は子どもオイリュトミーで動きだけを先に体験し、
大人オイリュトミーでは
オイリュトミストの宇佐美陽一先生に解説していただきながら動くという、
二段階で楽しむことができました。


♪ 渦巻き貝殻どうしてできた
  波がくるくる 渦巻いてできた

  桃色貝殻どうしてできた
  波がちんちら夕焼けてできた(?ちがったかな?)

  まんまる貝殻どうしてできた
  波がまんまる泡立ててできた ♪


この歌の言葉に合わせてみんなでくっついたり離れたりしながらゆったりと動いてゆきます。
高校の時授業でやった創作ダンスみたいな感じです。
あの時は受験勉強でカチカチになった創造力のない頭をふり絞って必死に考えて、
嫌で嫌で仕方なかったなあ。
いつも、頭で考えることばかりやらせるくせに、たまにこんな時だけ創造力を要求するなんて、無理よ!
みたいな気持ちだったかも。

今回は、動きに身を任せてなんとなーく気持ちいい上に、
ひとつひとつの動きに意味があるんだということをみんなで話しながら体で納得できた感じがしました。
oの形、aの形、uの形、nの形、というところで、
日本語とアルファベットの国の言葉の母音と子音に対する意識の違い、なんて話にも広がったり。


子どもオイリュトミーと大人オイリュトミーの間には、にじみ絵の時間。
水に浸した画用紙(普通より繊維が長くて強いもの)の余分な水分をスポンジで吸い取って、
絵の具を含ませた平筆をすぅーっと滑らせます。
色を塗るのが苦手だった私があら不思議。
真っ白な紙ににじんでいく青に、気持ちまですぅーっと涼しくなる気分!















今回のテーマは魚。
先日水族館に行ったばかりだったこともあり、
自分の中ではっきりイメージがあるテーマだったので気持ちよく描けました魚

多分、私が色を塗るのが苦手になったのは、父親に
「お前は、色を塗った瞬間絵がべたっとなるな。」
と中学生くらいの時言われて
「図星・・・」
と思った時以来。
遠近法を用いて写実的に描こうとする場合に技術的に未熟だったということだと思うのですが、
にじみ絵だとそんなこと気にしなくていいというか、目指す?ところが違う。
自分の苦手意識が取り払われて、癒しの時間となりましたキラキラ


にじみ絵はちいさな子でもできるので、早速シュトックマーの絵の具(←形から入りたい人ですえーっと…
を買いに行って、娘と楽しみたいと思います♪

  


Posted by みみもと at 14:46Comments(4)日記

2009年07月17日

beautiful!

昨日、帰り道抱っこして歩いていると、白人のお兄さんが娘をじーっと見つめているのに気が付きました。
無視するでもなく目を合わせるでもなく通り過ぎようとしたところ、

"2 years?"

と質問が。ええっとええっと?歳ね!

"1 years あ いやいや 1 yaer"

と答えたら、

「うちの赤ちゃんは3ヶ月なんだ。だから赤ちゃん見ると1歳かな2歳かなとか思うんだよ」
とのこと。(和訳。)

「おー、ソーリトルね。」
と言ったら、もう一度娘の顔を見て

"beautiful!"

と言って立ち去って行かれました。


そう言えば、以前着物で抱っこしていて外国人観光客の御一行に写真を撮られた時も
赤ちゃんの娘に向って

"so beautiful!"

と何度も言っていたなあ、と思いだしました。


日本人は、赤ちゃんを見ると

「可愛い~ハート

って言うから、英語だと

"lovely!"

のイメージだったので、意外。
であると同時に、一瞬かあっとなるくらい嬉しかったのでした。
なんでだろう?と思ってみると、

「可愛いハート

も、もちろん感じた通りの賛辞でとっても嬉しいのだけど、庇護しなきゃならないか弱いもの、という感じなのに対して

"beautiful"

には、美しいものとして敬うような気持ちが感じられるなあと。


7歳までは神の子、という表現があるそうですが、
特に寝顔なんかは弥勒菩薩のようだなあと思うことがよくあります。
そういった、子どもの持つ神々しさのようなものまであらわしているような気がして
いいなあ、と思った言葉がけでした。
  


Posted by みみもと at 16:08Comments(2)日記

2009年07月08日

シュトックマーの蜜蝋クレヨン&ねんど

前述のシュタイナー教育講座に参加する際「クレヨン持参で」とのことだったので、
普通のでも構わないとは言われたのですが、
せっかくなら前々から欲しかったシュトックマーの蜜蝋クレヨンをこの機会に!と思い、探しました。
これが、なかなか普通の文房具屋さんには売っていない・・・

ネットで検索したら、画材パレットを扱う「あおい舎」さんがヒットし、
熊本の街なかにある店舗でも売っていることを知り、やっとゲット♪することができました。

みつろうのいいにいおいハート
透明感のある発色にもうっとりハート


それから数日後、東京の妹からの電話携帯電話

「ねえねえ、クリスマスプレゼント何がいい?」

私でなく、娘のですヒヨコ
しかし、まだ7ヶ月の娘があれがいいこれがいいと言うわけもなく。
「とりあえず、木のおもちゃか、シュタイナー関連でクレヨン以外なら何でもOK。ありがとうございまーすお願い

東京にはたくさん木のおもちゃやシュタイナー関連のものを売っているお店があって羨ましいアウチ
近所の絵本やさんでシュトックマーの蜜蝋ねんどを買って送ってきてくれました。
届いたものを早速においをかいだりいじったりしていたのですが、出かけなきゃいけない用事があり、
ちょっとのつもりで柔らかくなるようにホットカーペットの上に置いて出かけたら・・・
すっかり忘れてずい分時間が経ってしまい。

ドロ~ンしずく

そうです。熱で溶けるのがウリですから、カーペットに、緑のシミになってしまいましたくすん
皆様もお気をつけください☆




  


Posted by みみもと at 22:34Comments(2)グッズ

2009年07月07日

イトコたちとの交流

夫は妹と2人兄弟。
その妹は夫より早く結婚・出産し、20代半ばですでに3歳・2歳・0歳の3人の娘がいますヒヨコヒヨコヒヨコ

先日、みんなで夏に集まろう!という電話を義母にしていたら、
ちょうどその妹の家にお手伝いに行っていたようで、電話のむこうから3歳・2歳姉妹の
「ばあちゃん!ばあちゃん!ばーちゃーん!」
と、けたたましい声がえーっと…

「あなたたち、ちょっと待って頂戴、ばあちゃん今大事な話してるからね」
となだめても一向にやむ気配のないラブコールハートに、義母が

「もー、あななたたち、金魚のフンみたいに私にくっついて回って、もしかしてあななたち、私のファン?」

と言い返しました。
そしたら、2人揃って

「ファンーラブラブ!」

て。
2人で吹き出してしまいました。


また、傘雨を持って外へ出かけようとしたのを見た義母が
「ちょっとちょっと、雨降ってないんだから傘はいらないんじゃないの?あぶないわよ」
と注意すると、

「だって、これでバス停バスごっこするんだもん!」

とのこと。


トトロみたい!と思っちゃいました。
まだうちの娘はそんなおしゃべりをする年頃でないので、
具体的にファンタジーの中で遊ぶ子どもの姿が想像しかできなかったのですが
(今時、オフィスで働いてたんじゃ、なかなかよその子の遊びの場面に出会う機会もありません)
こういうことなのね~、ふむふむ。
まだ秩序だってない感じで一人でゴニョゴニョ言って何かに没頭している後姿もたまりませんが、
もうちょっと大きくなるとこういうことが起こるのかおっ


昨年の夏に会った時は娘はねんねの赤ちゃんでイトコたちと一緒に遊べなかったけど、今年は何やらの絡みは出てきそう。
ワイルドなお姉ちゃんたちの洗礼を受けてどんな対応をするのか見ものだわキラキラ楽しみです!

  


Posted by みみもと at 15:49Comments(0)日記

2009年07月07日

かわいい瞬間

わたしの、子どもに「タマランラブ」となってしまう瞬間♪


さくらんぼ何かに集中している時のうなじ→つまみたくなる・・・OK

さくらんぼ朝、自分から目覚めた時のすっきりした顔→こういう顔が見れた日は「やったあ♪」と思います晴

さくらんぼ「うぎゃーアウチ」と泣いた赤鬼みたいな顔→こういう顔をされても「んまー、不細工可愛いハート」と思いますエヘッ

さくらんぼおむつを替えられてる時の無心な表情→そういえば最近はもうあまりしなくなりましたねヒヨコ

さくらんぼおっぱい飲んでる時ハート→やっぱりこれが一番ラブです!


「おっぱいおいしいハート」と言ってくれるようになるのが夢ですハート

  


Posted by みみもと at 00:03Comments(0)日記

2009年07月03日

成長について

早く早くと思ってしまいがちなものだから、
子どもの成長は、

「ゆっくり、大きくなってね。」

が、私の、自分に言い聞かせていることであり、
すとんと腑に落ちる言葉でもあります。
もちろん、その時のその子に合った「できるようになること」があるのだろうけれど
「できるからエライ」「できたから好き」なんじゃなくて、
「あなたがあなただから好き」なのだということが伝わるように心掛けていきたいなあと思います。
0~7歳は模倣の時期、というのは納得で、
毎日私と夫、保育園の先生のすることを一つずつくらいできるようになる。
親だからびっくりするし、素直に、嬉しいと思うと

「すごおい!上手ねえ!」とか
「そんなこともわかるの。お母さんのまねしたの。お利口ねえ。」とか
「大人みたいだね~」とか
「あんたはかしこい!」とか
「天才!」とか
「オットナ~」とか(笑)

という言葉が口をついて出てくる。
これがいいのかどうだか、しばらくたってからよく考える。
大人と同じことができるからすごいのか?
子どもに大人になることを求めているのか?
それとも、こんなのは考えすぎなのか?
ほめたいという素直な親の気持ちをぐっとこらえる、というのはヘンだと思う。
でも、「ゆっくり育て」という自分の気持ちと矛盾していないのかな?
このへんは、もうちょっと考えてみて、しっくりくるところを見つけたいなあと思う。


成長といえば、
妊娠中出会った、マザーズシップのぽじおさんの

「いつも、『今が一番いい時』。」

も、ふとした時に心にふわっと浮かんできます。


私の親がそうだったように
いつの時も人に向って子どもの悪口や「昔はかわいかった」などの言葉は吐かないぞ、
と心に決めています。

ただの言葉かもしれないけど、言葉は言霊だから。
言葉の上だけでなく、そう思わないような生き方を自分がしていきたい。
  


Posted by みみもと at 12:45Comments(7)日記