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Posted by おてもやん at

2009年09月30日

お母さん記念日

昨日、初めて娘が

「お母さん」

と言おうとしました。


「きゃーしゃ」

「たーしゃ」
の間くらいの音。
私を指さしながら言ってくれたので、意味もわかっているようです。


妊娠中、連れ合いと「何て呼んでもらおう?」と考えた時、
私は断然ハウス名作劇場ばりの「かあさん」「とうさん」がいいと主張したんだけど
彼は「普通でいいんじゃない~」と言うので、
「お母さん」「お父さん」に決定。

だから「お母さんよ」「お父さんだよ」としか教えていないはずなのに、
周りがみんな「ママ」「パパ」だし、
保育園でも先生方が「○ちゃん、ママ/パパがお迎えに来たよー」とおっしゃるので、
すっかり覚えてしまい、言い易さもあって、
「ママ」「パパ」とは少し前から言えるようになっていたんです。

でも、自分たちで決めた呼ばれ方なので、しつこく
「ねえねえ『おかーさん』って言ってよう」
とお願いしていたのですが、なぜか恥ずかしがって絶対に言ってくれない日々が続き。
昨日もダメモトで「『おかーさん』は?」と話しかけたら
気が向いたらしく、言ってくれたのです。


夕方、お友達に電話でその話をしたら、
「ねえ、1才過ぎてから、前よりもっと子どもが可愛くなったと思わん?」
と言われ、まったく私も思っていたところで
「思う思う!」
と盛り上がりました。
単に一緒にいる時間が長くなるほど愛着が増すということもあるでしょうし、
しゃべり始めたりして反応してくれるというのもあるのでしょう。


昔、中学の頃受験勉強の合間に一心に読んでいた「大地の子エイラ」という小説があります。
エイラはクロマニヨン人なのですが、捨てられてアウストロラピテクスに拾われまます。
アウストロラピテクス達は言葉を持たず、感情表現も乏しい中、
エイラ一人が笑ったり涙を流したりする様子が自分たちと違うことで、いじめます。
大きくなったエイラは村を追い出され旅をしていると、自分と同じクロマニヨン人と出会い、
初めて自分と同じように笑ったり泣いたり、声の出し方で気持ちを伝えたりすることを知り、
やがて恋をする・・・
というお話。
上・中・下3冊×5部くらいまであるという巨編で、
前半は辛くて先が果てしなく感じられ、読むのをやめようかと思うほどでしたが、
気持ちが通い合うシーンから物語がぐっと面白くなり引き込まれました。

それまでの私は環境問題にとても心を痛めていて、
「大きくなったら環境問題に関する仕事をする!」と宣言していた
(正確に言うと「環境庁に入る!」とえーっと…環境と名のつくものはそれしか思い浮かばなかった)
のですが、この本を読んで夢が変わりました。
「コミュニケーションてこんなに人の心を惹きつけるものなんだ。
私たちが言っている『環境』も結局は人間にとっての環境なんだ。
感じたり考えたりできる一人一人の人間って何てすごいんだろう。
やっぱり、そういう『人間』を大事にする職業に就きたい。
一人でも、人為的に辛い思いをする人間が少ない世の中にしたい」
と考え、今度は「ユニセフに入り、貧困問題に携わりたい」と思うように。
(相変わらず大きいところしか目に入ってませんでした日の出

それくらい、私の人生を大きく変えた本なのですが、
昨日の「おかあさん」もまた、私をエイラのところまで引き戻しました。
コミュニケーションがどれほど人間にとって必要なものなのか。
人生の折々に、この本をまた思い出す気がしました。


新生児の頃は特に、自分から出てきたというのが信じられないというか
親という実感がないまま、ただただ新生児のの可愛らしさに引っ張られるように
お世話をしてきたような気がします。



昨日やっと、お母さんになれたような気がして、
通園中の墓地を娘を抱っこして、泣きながら歩いた朝でした。  
タグ :言葉


Posted by みみもと at 13:04Comments(4)日記