夕陽がキラキラ

みみもと

2009年08月05日 23:51

毎日、会社から娘をお迎えに行くのは夕刻。
降りたバス停からの間に、保育園に隣接する寺の墓地を通ります。

毎日お墓なんて嫌だなあ、なんて思えないこの墓地。
毎日気持ちよい風が吹きぬけるたびに死者が眠っている墓が持つ生々しさを風化させるらしく
穏やかな老人のような顔を見せています。
ただ古いだけじゃなくて、人の手がほどよく入っていて大事にされていることも
この雰囲気の源なのでしょう。
7月の盆前には何人もの方が草取りに来られていて、日に日に地面が見えてくるのには驚きました。
その土にも、長雨とこの暑さで週末明けにはまたわさわさ草が

その日の空気と同時に、ダイナミックに移ろう四季も感じられます。
こんな墓地は初めてです。
「アンの愛情」(出たアンフリーク
)や「虹の谷のアン」で
やたらにモンゴメリ(著者)が「気持ちのよい墓地」を細かく描写していて
「そんな墓地あるの??」と訝しんでいたのを、
「これのことかあ」
と、一人で通路を歩きながらよく思い出します。


さて、その墓地の門に向って歩くと、今の時期は必ず夕陽が飛び込んでくることになります。
まるで、天国に続く道のようです


私は、夕焼けを見るのがそれはそれは好きだったのです。
それを、夕空を見て思い出しました。


思えば、夕陽に向かって帰り道に歩くなんて、何年ぶりでしょうか。
いや、学校より東側にしか住んだことがないばかりに、
夕陽を見るには振り返り振り返り歩くしかなかったことを今思い出しました。
その代わり、高校生の頃、自転車を漕ぐ背中いっぱいに夕陽を浴びながら、
「あ、私たち今、黄金色の光の中を走ってる!!」
と確信に満ちた気持ちを全身で感じた瞬間をはっきり覚えています。
これが青春なんだ!と


夕空を眺めるブームは中学生の頃がピークで、
通っていた学習塾の休み時間になるとすぐ外に出て空を眺めていました。
オレンジ色の空よりも、それが終わった後の青と金色の間のエメラルドグリーンの瞬間を捕まえたい一心で、休み時間がずれていると
「今日は見れなかった・・・

と悲しくなっていました。

夕空を眺めずにいる人たちを
「よくこんなに美しいものに目を向けず、よく仕事(勉強)なんかしていられるなあ!」
「毎日こんなに素晴らしいドラマが繰り広げられていることに、何故もっと世の中は注目しないのだろうか?!」
と真剣に考えていました。
と、夫にこの間言ったら
「本気で他の人は興味ないって思ってたわけ?」
と呆れ顔をされました。そうそう。笑
この独りよがりが青春の証って感じがして我ながら愛おしいです。
夫も、彼なりの夕空との時間を過ごしていたそうです。


そんな私も、大学生になり夕方起きて朝寝る
破綻した生活を経て深夜帰宅のサラリーマンに突入し
夕方空を見る余裕を失くしてから早12年が経ち、
やっと夕空に目を向けられる生活を手に入れることができたというわけです。
これも娘が生まれてくれたおかげ!!ありがとう娘よ

こうやって、子どもは生まれてくることで、直接子育てに関係しないことでも
親のところに思わぬプレゼントを持ってきてくれているような気がしてなりません


これから季節とともに、毎日少しずつ空の表情も変わることでしょう。
薄暗い墓地は想像するとちと怖いのですが、
それもまたをかし、なのかもしれない?と、楽しみです。

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